【回想】カメルーン旅行記2

アフリカ情報

カメルーン旅行記1はこちら

ゴロリが生まれるずーっと前。私がゴロリのパパと結婚してしばらく経った頃、パパの家族に会いにカメルーンへ行く機会がありました。もう十年以上前のことです。

これまで旅行記のようなものも書く機会がなかったので、記録に残す意味で当時のことを書いておきたいと思います。

ゴロリはカメルーンに住む、父方の祖父母にはまだ会えていません。

カメルーンの家族からゴロリのアフリカンドレスをいただいたり、画像を送りあったりなんかの交流はある状態です。

自分のルーツがある場所。いつかゴロリを連れて行ってあげたいです。

※Momiとゴロリパパはもう離婚しております。今回は結婚していたころの回想録。文面が分かりにくくなるので、当時の状況のまま「カメルーン夫」「義理の両親」のように表記しています

カメルーン夫実家は一階平屋建て8LDK+外キッチン

夫の実家は、カメルーン最大の都市ドゥアラ(Douala)から車で1時間程度のクンバ(Kumba)というところにあります。良い意味で郊外っぽく、のんびりした地域でした。

cameroon実家

このクンバで旅程一か月の半分近くを過ごすことになりました。

家族以外の同居は当たり前

カメルーン夫の実家を訪問して驚いたのは、実家に家族以外の住人が2人も住んでいたこと。一人は従兄、一人は住み込みのメイドさん。事前に聞いていた家族構成と実際の住人が一致しなくて混乱しました。

カメルーン夫の家族構成は「義両親、長男(夫)、次男、長女、三男、四男」の7人家族。これだけでも十分多いですよね。長男の夫は日本滞在のため、普段は残りの家族6人と従兄、メイドさんの8人が一緒に暮らしています。空き部屋があったので夫と私の部屋として割り当ててもらいました。

実家にはセキュリティの問題で宿泊は出来なかったんですが(カメルーン旅行記1参照)、荷物を置いたり、昼寝をしたりする部屋として使わせてもらいました。

家族以外の同居についてはカメルーンでは比較的一般的とのこと。夫の家庭は金銭的に余裕があったので、甥っ子や姪っ子を預かって生活費や学費を負担してきたそうです。

今回訪問時に実家に滞在していた従兄は、義母のレストランを手伝いながらカメルーンからの出国を考えていました。

メイドさんとして紹介された女性は、知り合いから頼まれて生活を面倒見ながらレストランを手伝ったり家のことを手伝ったりしているとのことでした。彼女は裁縫の学校にも通っていて、訪問時にちょうど卒業式があったので家族に混じって卒業式に参加させてもらいました。卒業後は縫製の仕事をしながらお金を稼ぎたいと話していました。

料理は外キッチンで

夫の実家には家キッチンと外キッチンがあります。そして料理はほとんど外キッチンで行います。外キッチンはちっちゃい部屋になっていて、そこで薪をくべて料理をします。お肉をあぶったり魚を焼いたり、お鍋やフライパンで具材を煮たり炒めたり。

カメルーンでは日本と違い、みんな揃っての「いただきます」をしません。おなかが空いたなと思ったら、好きな時に好きなものを各自が食べます。そしてカメルーン夫の家にはいつも住人以外の誰かが訪れています。近所の人だったり友人だったり親戚だったり。みんなが食べるものが常に必要なので、料理もずっと続きます。カメルーンの主婦は大変ですよ。

食べ物の調達

牛肉は牛舎の直売、鶏肉は庭から

夫実家の料理で一番よく出てきたのは牛肉です。私、実はあまり肉を食べません。ベジタリアンというわけではないんですが、野菜や豆類を好みます。でもまあカメルーンではチョイスがありませんので、毎日お肉をいただきました。そしてこれがまたどれも美味しい!さすがレストラン経営の家庭、毎日煮たり焼いたり蒸したりといろんな料理に挑戦させていただきました(食べる方です、もちろん)。

牛肉の調達は近くにある牛舎の直売です。朝早くに一回だけ肉の仕入れに同行させてもらい、結構ショッキングな状況を目の当たりにいたしました。牛舎には生きた牛がいるわけですが、その中から「今日の牛」を選び、その場でさばいて直売しているんです。

私たちが行った時には遠くからでも牛の泣き叫ぶ声が聞こえました。牛舎の外には同じように新鮮な牛肉を求める人たちが続々と集まってきます。しばらくすると中で直売会がはじまりました。私はそんな光景をはじめて見たのでショックを受けたわけですが、同時に命をいただくということを強烈に感じ、すごく感動したのを覚えています。記録に残したくて写真もたくさん撮りました。

これらの画像をカメルーンから帰国して友達に見せた時に、反応が真っ二つに割れました。大抵が「どうしてこんな写真撮ったの?かわいそう・・」というもの。もうひとつの反応は私と同じ。「すごいね。命だね。」というもの。日本でパックに売られたお肉しか見ていない我々にはショッキング過ぎる画像ばかりなので、ショック度が少ないものを一枚だけ掲載します。おじさん、すごくいい笑顔。

鶏肉は庭から調達。家の横にあるトウモロコシ畑(畑というほど手入れもされていない。土地が余っていたからトウモロコシを植えたそう)にはニワトリが放し飼いにされていました。このニワトリもそのうち食用になります

私がまだ子供のころ、日本の田舎でもカモやニワトリを絞めて羽をむしって食べていましたが、その光景がカムバックです。素手でガシガシ羽をむしっていきます。あらかたむしった後は表面を焼いて切り分けます。ここでも写真を撮りましたが掲載できそうなショッキング度の低いものがありませんでした。すみません。命をいただくというのをとにかく何度も実感させられました。

野菜や果物は市場や庭から

毎日すごい量の料理をするので肉以外の食材も調達に行かなければいけません。市場は車で10分くらいいったところ。乗り合いタクシーで知らない人とぎゅうぎゅうに相乗りしながら向かいました。オカダとよばれるバイクタクシーにも乗ることがあるそうですが、危ないからと挑戦させてもらえませんでした。残ねん。

長細い葉っぱのホウレンソウみたいな野菜や育ち過ぎた菜の花のような野菜など。日本では見たことがない野菜もたくさんありました。

果物も日本のような規格なんて無く、バナナも房がいくつも付いた状態で店先に並んでいたりと売り方がダイナミックです。果物はカメルーン夫の実家の庭にも種類豊富にありました。グレープフルーツマンゴーパパイヤバナナなど。あとは画像のようなカカオの実も。生で食べるとほんのり甘いんです。

毎日新鮮な果物を庭からとってきて食べるなんてすごく贅沢だなあと思いました。

義母が経営するレストラン

毎日朝5時前から料理を開始

義母はクンバにある大きな交差点の近くでレストランを経営しています。レストランに出す料理は、家族総出で朝5時前から開始です。まず、主食となるヤム芋を茹でて皮をむき、大きいすり鉢のようなものでなめらかなペースト状にしていきます。メインとなるスープやお肉等のお料理も作らなければいけないので大忙しです。毎日3種類くらいのメイン料理がありました。私もお手伝いさせてもらいたかったんですが、ヤム芋は熱いし力も足りないし・・全然戦力になりませんでしたのでもっぱら見学でした。

お昼前には作った料理を持って義母のレストランへ向かいます。

レストランは地元民の交流の場

レストランでは飲み物も販売していて、お酒好きのカメルーン人は昼間からでもビールを飲みます。義父もいつも決まった席でまったりとビールを飲んで過ごすことが多いそうです。Guinnessという黒ビールが好きでよく飲んでいました。

レストランの横には小売店や理容店等の小さいお店が並び、いろんな人たちが出入りします。大きな交差点側なので往来も多く眺めているだけで全然飽きませんでした。

カメルーンには何にもしないでただ座ってるだけのような人もたくさんいて(本意ではないでしょうが)、本当に時間の流れがゆっくりです。日本で毎日終電近くまで働いていたあくせくした毎日が嘘のように感じました。

クンバに滞在中はほぼ毎日義母のレストランでランチをいただき、紹介される人に挨拶をしたり顔見知りになった方達と話をしたりして過ごしていました。義父の若いころの話や夫が子供の頃の話などなど、カメルーンに来なければ知りえなかったことを地元の方に聞かせてもらいながら、どんどんクンバが好きになっていきました。

義両親の実家があるバメンダを訪問

結婚披露宴パーティーを開催

カメルーン夫は5人兄弟の長男です。家父長制のカメルーンでは家庭内での長男に家族の中心としての役割が求められます。長男が嫁を日本から連れてきたということで、親族が家に入りきらないくらいに集まってパーティーをしてくれることになりました。

日本の結婚披露宴とは異なり、「自宅で開催」「料理も自分で」とアットホームなパーティーでした。

日本から来たアジア人の私をみなさん珍しそうに見ていましたが、英語圏で英語が通じることもあり一通りみなさんのところへまわって挨拶をしました。正直顔と名前がほとんど一致しなかったですけど、みなさん歓迎してくれているのが伝わってきてすごくうれしかったです。

衣装はカメルーン夫のシャツとお揃いで叔母さんに作ってもらったセットアップを着用しました。身体にピッタリとフィットするロングスカートのラインが素敵な衣装で、今でも大事に保管してあります。

延々と続く挨拶と踊りと喧嘩

パーティーはまず挨拶からはじまります。パーティー会場を提供してくれた義父のお兄さんから始まり、義父、義父の弟・・・途中で私にも順番がまわってきたので簡単に英語で挨拶をしました。つたない英語でしたがなんとか通じたと思います。集まってくれたお礼とカメルーンの印象、あとカメルーン夫の日本での様子等を話しました。その後も延々と挨拶が続き・・たぶん一時間くらい続いたんじゃないでしょうか。すごく長かったです。最後にカメルーン夫が締めの挨拶をして、やっと乾杯!

パーティーでは特に余興とかもないんですが、乾杯が終わってご飯を食べたり飲んだりしながら踊りが始まります。誰かが歌を歌い、誰かが太鼓を叩き、他の誰かが踊りはじめ・・だんだんと人が加わって大きな輪になって踊りました。途中疲れて休憩入れたりしつつ数時間は踊ってたと思います。

踊りつかれたころ、引き出物的なものを配るんですが、ここからがまた長い!!!

引き出物は「塩」と「パームオイル」。日本だと綺麗に包装されたものが各自持ち帰り用に手さげの紙袋に入ってたりしますが、カメルーンのバメンダではその場で各自が持参した容器に入れて分けます。そして分ける際に「そっちの方が多い!」「そんなことないわよ!そっちの方が多いじゃないの!」と喧嘩をするんです。これはリアル喧嘩ではなく、そうやっていちゃもんをつけ合って楽しむという余興のようなものらしいです。

言葉は英語ではなくカメルーンの言葉「ピジョン」だったので、ほとんど何言ってるか分からなかったですが、何語だって怒っているのは分かりますよね。男の人も激怒(のフリ)で大声で怒鳴ったりします。事情を知らなかった私は、さっきまで仲良くしてたみんなが怒鳴り合ってるのを見て大混乱でした。足りないんだったらもっと買ってこようよ・・!とカメルーン夫に進言して大爆笑されました。

この喧嘩は一時間以上続きました。そして大喧嘩しつつも最後にはしっかり笑いあって終了です。良かった。

カメルーンは一夫多妻制が認められている

義両親は一夫一婦をつらぬいている夫婦ですが、カメルーンでは一夫多妻が認められています。バメンダでパーティーの会場として自宅を解放してくれた義父のお兄さんには、奥様が二人いらっしゃいました。奥様二人とても仲が良く、私を間に挟んで何枚も写真を撮ってくれました。

また、義母の妹は地元の有力者のところに23番目の妻(!)として嫁ぎ、PALACEと呼ばれるところに暮らしていました。それぞれの奥様と子供たちに家があるそうで、義母の妹の家に招待していただきました。子供や孫までいれると本当に一つの村がそこに出来あがります。そして、23人も奥様がいるということはそれだけ甲斐性があるということ。村のように見えても全員が家父の家族ですから、全部を養っていくのは大変な財力だなあと思いました。そして23人の奥様のところへ平等に訪れて夫や父の役割をこなさなければいけないというのは・・こっちの方がもしかしたら大変かもですね笑。

一夫多妻で妻同士が仲良くしてるのを見るのはまさにカルチャーショックで、異国に来たー!という感じがしました。興味深い制度ではありますが、これからの世の中は女性の力も強くなっていくので、一夫多妻という制度はどんどん少なくなっていくんじゃないでしょうか。

カメルーン旅行記2 あとがき

カメルーンに行ったことを思い出しながら書いていて、どんどんカメルーンに再び訪れたくなりました。2020年現在は政治不安で治安も悪化し、夫の兄弟も全員カメルーンから出国して現在は欧米のいずれかの国で暮らしています。

近代化の波も押し寄せているはずなので、あのおだやかなクンバでの生活がそのまま残っているのか分かりませんが、ゴロリの祖父母が元気なうちに、夏休みを利用してカメルーン旅行してみたいと思います。

カメルーン旅行中に起きたトラブルの話も書いてみたいです。旅行記3をお楽しみに!

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